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□ 日々のたわごと □

【たわごと】 この国の未来・・・。

 ちょっと、不愉快な話題です。

今日、MIXIのニュースで読んだのですが、尼崎でネコの変死体がたくさんみつかっているそうですね。
まだ人間がやったものかどうかも特定できないそうですが、近隣にお住まいの方は、とても気味が悪いでしょうし不安な日々でしょう。

これがもしも、人為的なものだったら・・・と考えると、不安と言うより恐怖です。

こういう事をする人間がいるのなら、それは、その人の中の鬱屈したものを「生き物を殺す」ということで晴らそうとしているのですから、いつ対象が小動物から人間に変わってもおかしくない。
過去にもそういう事件がありましたものね・・・。


しかし、私が今日、わざわざここに書いてしまったのは、そこに新たに怖いものを見てしまったからなんです。

MIXIのニュースを読むと、その画面に、そのニュースについて書かれた日記が新着の一件、冒頭の2行ほどだけ表示されます。
怖かったのは、その日記・・・。

おそらく、プロフィールの写真を見た感じでは、若い女の子。(実際にその人のページに飛んだわけではないので確かではありませんが)

その日記の書き出しはこうなんです。

「たかがネコが死んでいたぐらいでばかばかしい。」

その続きには、近所に野良猫がたくさんいて、糞尿の匂いや庭木を荒らされるなどの被害でたくさんの人が困っている、野良猫なんか一匹もいなくなればいい・・・というような内容が続いているらしいのですが。

確かに野良猫の問題は深刻です。
ですよ?

だけど・・・

何故野良猫が増えるのかということはあまり考えず、「一匹もいなくなればいい」と言い、
「たかがネコ」と、その事象のみを捉えて、もしもそれが人間の仕業だったとしてその人がどういう人でこれからどういう行動を取るかとか、そういうことに想像を広げること無く「ばかばかしい」と言い放ってしまう・・・。

これには心底ぞっとしてしまいました。

もちろん、冒頭の2行だけでその人の言わんとしたことを限定してしまうのは危険だとは思うのですが・・・。


もっと、想像力を持って、世界を見る若者が増えて欲しいです。
きっとそういう若者だってたくさんいるのだろうと信じていますが・・・。
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Date:2011/09/30
Trackback:0
Comment:6
Thema:ひとりごとのようなもの
Janre:日記

Comment

* No Title

うーん、それは腹立たしいを通り越して、恐怖ですね。

もしかしたら、その日記を書いた子のような精神の持ち主は、結構いるのかもしれません。
実際に手を下す病んだ人間はほんの一人でも、それに何の問題も見いだせない人間が沢山いたら、それこそ日本は終わりですもん。

そう、結局は想像力の欠如ですよね。
ここで感じるべきなのは、「害獣を始末して何がわるいの?」という問題ではなく、「見せしめ、あるいは自分の快楽の為にこんな行為をする人間が居ること」への問題提起ですよね。
人間の狂気の怖さを、もっと感じとってほしい。

・・・なんて。
昨日、ふっと浮かんで「いや、やめよう」と思った、物語のテーマに似てたもんですから、ちょっと熱くなっちゃいました^^。
2011/09/30 【lime】 URL #GCA3nAmE [編集] 

* No Title

人の命も動物の命も皆同じのはず。
それを「たかが」の一言で片付けられては本当に溜まりません。
そしてそんな風にしか考えられない子供が増えていることは、腹正しいし、怖いし、何より悲しいです。

命を軽く見てしまうそんな世の中にいつからなってしまったんでしょうね。
「ゆとり教育」とか「英語力のアップ」とか「パソコン学習」とか、そんなことより、もっともっと大切なことを教えていかなければいけない気がします。

でも今は先生自身がとても頼りなく、幼稚な人が多いですからね。
我々大人も襟を正して、日本の将来を見据えていかねばならぬ気がします。
2011/09/30 【ヒロハル】 URL #- 

* limeさんへ♪

そう、「恐怖」ですよね。
なんか殺伐とした気持ちになると言うか・・・。

想像力が欠如してる世の中だなぁって思うんです。
小さな事でも。
結局、思いやりも想像力ですもんね、相手の気持ちや立場になって想像してみる・・・っていう。


limeさん、その「いや、やめよう」と思ったテーマ、気になります(^^)
2011/10/02 【秋沙 】 URL #mQop/nM. [編集] 

* ヒロハルさんへ♪

野良猫で迷惑しているっていう、その事自体はわかるんですけどね。
でも、野良猫が悪いわけじゃないじゃないの~~~と。
動物がキライ、ネコがキライ、という人もいるでしょう。

しかしやっぱり、こういう問題は、そういう個人的な感情で語っていいものではないはずですよね・・・。

本当にね、実際に子供を持ってみて、こういう時代にどういうふうに育てたらいいのか悩んでしまうこともあります。
世の中に順応してうまく渡っていってもらわなくちゃと思う気持ちと、古臭くても人間的な暖かさのある人になってほしいという気持ち・・・時々矛盾しちゃうんです(ToT)
2011/10/02 【秋沙 】 URL #mQop/nM. [編集] 

* No Title

それは倫理学的に大変難しい問題をはらんでいまして、ウルトラ化すると、

「一人の人間が、自らの魂が救われるために人殺しをするのは是か非か」

というところまで行きついてしまいます。

それを「是」だといいきってしまったのがあのフリードリヒ・ニーチェで、わたしもそれに対して反駁できないものを感じています。

「魂の救い」ではよくわからん、というのなら、「心の平安」と言い換えてもいいでしょう。

われわれは果たして思想的に快楽殺人者やそれに類する者を裁く権利があるだろうか?

その問題は、わたしが「紅蓮の街」で書こうとして果たせなかったサブテーマの一つでもありますが、個人的には、「すべての人間が行った罪に対しては、それは外部状況からその人間が機械的に反応した結果であるため、一種の『天災』のようなものだから、倫理的に責任を問うことはできない。しかし、社会的なシステム(法、といいかえてもいいでしょう)として決定されたことを逸脱しているわけだから、その社会的なシステムの上からは適合した罰を受けなければならない」という、スピノザとホッブズを寄せ集めたような、非常に歯切れの悪い考えを抱いております。

もしこれが猫殺しではなく「自らの快楽のためにゴキブリを殺しまくる」ような人間の話だったらどうなるか、と置き換えて考えてみると、わかりやすいかもしれません。なぜゴキブリはよくて猫はだめなのか、人はだめなのか、ということを考え出すと突破不能のアポリアに突き当たることがわかると思います。殺すことに対する責任を問いだしたら、ジャイナ教みたいに非殺生を徹底するか、ニーチェのように殺生の肯定を徹底するか、結局はその二択です。それ以外の対応は、「ダブルスタンダード」といわれてもしかたがありません。

そういった、通常の人間が抱いている価値感を破壊することにSFの楽しさがある、というのもまた事実ですが。
2011/10/05 【ポール・ブリッツ】 URL #0MyT0dLg [編集] 

* ポールさんへ♪

難しいお話になってまいりましたが・・・(^^;)

そうですね、「殺す側」の心理に立って考えれば、裁く権利があるかどうかはわかりませんね。

でもやっぱ、殺すからには「殺される側」があるのでして。
「殺される側」のためにも、「殺した側」は罰せられなければいけないんじゃないですかねぇ・・・。「天災だった」で納得できるものではありませんからね。

んで、ゴキブリは良くてネコはダメ、ということではなく、やはり「殺す」ということに快楽を求めている人物がどこかにいる、と言う事実が、非常に不気味で恐ろしい、ということでございます。
ネコじゃなくて、ゴキブリの変死体が山になっていても、同じ事です。
そういう人物が近くに潜んでいるとすると、いつ自分や自分の大事な人が、その「快楽のために殺す」という行動の対象にされるかわからないって事なんですから。


とか言いながら、小説の中では快楽殺人犯をぜひとも書いてみたいと常々密かに思っている私だったりするわけです(^^;)
2011/10/05 【秋沙 】 URL #mQop/nM. [編集] 

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