次の日の朝は、気持ちの良い晴天だった。
初夏の日差しが降り注ぎ、時折さわやかな風が吹き抜ける。
しかし、加奈子の気分は最悪だった。
夕べはほとんど眠れず、時々浅い眠りに落ちては、変な夢ばかり見た。
優一があの女と腕を組んで歩いていく。追いかけようとする加奈子。
突然、優一が振り向いて言う。
「加奈子より、この子のほうが魅力的だったんだ。それだけだよ。」
途中からその声は、あのヒゲの男のものになってくる。
「そいつが何を考えて、何に傷ついているのか考えてやることがあったのか?」
落ちていく。足の下は渦を巻き泡立った海だ。
誰か助けて! 優一!
しかし優一は優しげな声で言う。「加奈子のしたいようにすればいいよ」
助けて! 誰かに腕をつかまれる。「自分で登っておいで」
まっすぐにこちらを見る少年のような瞳。
「絶対にこの手は離さないから」
あぁ、この人は助けてくれる。
急に安心感がこみあげて涙が出そうになる。
しかし男は加奈子を見てくすっと笑う。
「死にたいようには見えなかったから。大丈夫だよ、あなたなら」
寝汗をかいたのでシャワーを浴びた。もう朝食の時間は終わってしまう。
あの二人連れは、今日も宿泊するのだろうか。
まさかもう、チェックアウトしてしまっていたりしないだろうか。
いや、でもそれだったら夕べ、何か言ってくれてもよさそうなものだ。
身支度をして、ぶらぶらとホテルのロビーまで出てみたが、
あの二人の姿はない。喫茶店のテラス席にもいないようだ。
また取材でもしてるかもしれない・・・。
そう思って、加奈子も街のほうへ歩いてみることにした。
遅い朝食を取ろうと、小さな喫茶店に入る。
テーブル席には観光客らしいカップルやグループがぽつぽつと座っていた。
なんとなく、カップルがあまり目に入らないように窓際の席を選ぶ。
カウンターでは、地元の常連客らしい初老の男性が二人いて、
同じくらいの年齢らしいマスターとさかんにおしゃべりをしている。
カウンターの中には、小さな音でテレビがつけられていた。
窓の外をぼんやり眺めていると、パトカーが2度ほど通り過ぎた。
(自殺でもあったのかしら・・・)
その後にも、大きなワンボックスカーが通ったり、なんだか昨日よりも騒がしい気がする。
しばらくすると、カウンターの常連客らしい男たちが、何か驚いたような声をあげた。
「お? あれはあの崖の上のほうにあるお屋敷じゃないか?」
「あーそうだそうだ。何かあったのか?」
どうやらテレビに注目しているらしい。
マスターが少しボリュームをあげたので、窓際の加奈子のところにも
かろうじて内容が聞こえるくらいになった。
報道番組らしい。
『死亡推定時刻は、昨晩遅くと見られ・・・別荘内にある温泉風呂で発見されました。
かなりのアルコールを摂取していたらしく、心臓麻痺とみられています。
・・・氏は自らの興した会社社長を3年前に引退、その後も会長として・・・・
・・・・自社の経営の他に、政財界とのつながりも取り沙汰されており・・・・』
「へぇ。立派なお屋敷だから、どんなやつが住んでるのかと思ってたけどなぁ」
「知らなかったかい? 世間様には知られたくない取引なんかは、あの別荘でやってるなんちゅうウワサも流れとったのに」
「そうだったんかい? いや、知らなかったなぁ。」
「深酒して温泉なんて、その歳でやっちゃあいかんねぇ。」
「カネも地位もあっても、そんなふうにコロっといっちまうなんてねぇ」
「ま、長患いして苦しむよりも、幸せな死に方かもしれんね」
気楽な笑いを聞きながら、加奈子は(自殺じゃないんだ・・・。まぁ、関係ないわ)とぼんやり思っていた。
またパトカーが通り過ぎた。
そんな中を街歩きするのもあまり良い気分ではなかったので、
加奈子は早々にホテルに戻ってきた。
部屋に戻りかけてふと見ると、あのテラス席にヒゲ面の男をみつけた。
(またあの坂木っていう人だけか・・・)
なんとなくガッカリしてため息を一つつく。
夕べの話について抗議してやりたい気持ちもあったが、何をどう抗議したらいいのかわからない。
部屋に戻る気にもなれず、ロビーのソファーに座ってぼんやりと置いてある観光案内のページを繰ってみたりした。
しばらくして、ロビーを人影がよぎった気配に顔をあげると、あの「ヨウ」という青年がテラスのほうへ行くのが見えた。
坂木のところへ行き、一緒に座って何か注文をしている。
少し躊躇したが意を決して、加奈子もテラスに出てみた。
「・・・こんにちは。ご一緒していいでしょうか。」
同時に顔を上げる男たち。
ヒゲは何も言わずに読んでいた新聞に目を落としたが、青年はにっこりして「どうぞ」と言った。
少しほっとして、席に座る。
「あの・・・昨日は、ありがとうございました。ケガさせてしまったようで、すみません。」
ヒゲのことは無視して、青年に話しかけた。
少し気だるい様子で椅子の背もたれに身体をあずけていた青年は、
「ケガ?あぁ、たいしたことないよ、気にしないで。あなたは大丈夫だった?」と
静かな声で答えた。
「えぇ、たいしたことは・・・。」
「夕べ、坂木さんと話したこと、聞いちゃったよ。つらかったんだね。」
不意に、加奈子は目頭が熱くなるのを感じた。
『つらかったんだね』
その一言を、誰かに言ってもらいたかった自分に気付く。
「坂木さんが結構キツイこと言ったんでしょ? ごめんね。この人、口が悪くて。」
ニヤニヤしながら言う青年を、坂木はチラッと見て軽く舌打ちするとまた紙面に目を戻す。
加奈子はそんな二人のやり取りを見ながら、
(坂木さんって、このヨウって人の前ではなんだかかわいくなっちゃうのね)と、思わず可笑しさがこみあげてきた。
「あの・・・今日は取材はしないんですか? お仕事って、観光雑誌か何かですか?」
相変わらずヒゲは新聞から顔を上げようともしない。
青年が答える。
「いや・・・もうここでの仕事はほとんど終わったんだ。あとは上からの指示を待つだけ。」
「そうなんですか・・・? なんだか今日、街のほうが騒がしかったみたいです。ここらへんに別荘を持ってるお偉いさんが死んだとかってニュースをやってましたよ。」
「へぇ・・・そうなんだ? じゃぁ、昨日のうちに終わらせておいてよかったかもね。」
その時、急に坂木が椅子から立ち上がった。
どうやらズボンの後ろポケットに入れてあった携帯のバイブが震えたらしく、
ぶっきらぼうに「もしもし?」と電話に出ると、そのまま通話をしながらロビーのほうへと歩いて行ってしまった。
加奈子はほっとするような、新たに緊張感が襲ってくるような変な気持ちになった。
目の前の青年は、気にする様子も無く、ぼんやりと海をみつめている。
軽くコーヒーカップを包むようにしているその手に、加奈子の視線は釘付けになった。
男性にしてはつるりとした長い指。
昨日の朝、助けられた時の力強さがその綺麗な手にあるなんて、なんだか信じられないくらいだ。
手から腕、肩へと無意識に視線を動かしていく。
白いシャツの襟元に、銀色のクロスのペンダントをみつけたのはそのときだった。
クロスのペンダントを身に着けた男なんて、ビジュアル系のバンドが好きな男の子か本物のクリスチャンの外国人くらいしか見たことが無い。
特にアクセサリーが好きなような感じもしないこの青年がつけているのは、クリスチャンだからなんだろうか・・・。
加奈子はかなりまじまじと青年を眺めていたらしい。
「ん?」
不意に青年にこちらを向かれて、なぜか加奈子は心臓がとくん、と鳴ったのを感じた。
何かしゃべらなくては・・・とあせってしまう。
「あの、ヨウっていうのは名前ですか?それともあだ名というか呼び名みたいなもの・・・?」
なんでそんなことを? というように目をいっそう丸くした青年は、一瞬の間をおいてから答えた。
「まぁ・・・両方だよ」
(両方?名前も『ヨウ』でそのまま呼ばれてるって事?それなら『名前だ』って言えばいいのに、まわりくどいというか・・・)
「どんな字を書くのかしら。太平洋の洋・・・?」
「太陽の陽だよ。」
「へぇ・・・。」
我ながら、後の会話が続かない質問をしてしまった、と後悔する加奈子。
あらためて「陽」という名前なのか・・・と青年を眺める。
「太陽」というイメージよりも、初夏の柔らかい陽の光に溶けてしまいそうな不思議な存在感。
海からの風が、少し強くなってきたようだ。
陽の額にかかるくるりとウェーブした髪が揺れている。
何か話したい。もっと話したい。
コーヒーを少し口にして、また海に視線を戻した陽に、加奈子は思わず訊いていた。
「なぜあの時、私を見て笑ったの?」
(つづく)
ちょっと更新が遅くなってしまいました。お待たせしました~(待ってない!?)
そろそろ焦ってきました(^^;
次作がまったくすすまんのです・・・。
このブログを解説してから、書いては消し、書いては消し・・・
結果として20行くらいしか進んでいません(ToT)
大丈夫なんだろうか。
物書きの神様は、当分私には降りてこないような気がします(^^;
limeさんの白昼夢が終わってしまいましたね。
こうなることは、皆さんより前に知っていた私なんですが、
この寂しさはどうしようもなくって・・・。
こうなったら、私が陽を書き続けよう!と意気込みだけはあるのですが・・・。
まぁ、ぼちぼち行きますね。← BACK 目次へ NEXT →
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